2016.10.13

2016年5月23日東京ドーム「B・BLUE」に思うこと

せっかく立ち上げた個人専用ブログなのだが、最後に更新した2013年12月から3年近くも(!)放置状態が続いてしまっている。これはいけない、という訳で今回久しぶりの書き込みとなった。
実は今年の正月、こんなことがあった。届いた年賀状の中に「このページを見てますよ」というメッセージが添えられた一通があった。差出人は高校時代の同級生。とはいっても、もう20年以上は顔を合わせていない。ホント、年賀状のやり取りのみの付き合いだ。だからこのページのことも教えた訳では無いし、知る術も無いはず。恐らく個人名か何かで色々と検索している内に引っかかったのでは無いかと思う。いずれにしても意外な人が見てくれることもあるんだ、とネット社会の奥深さを改めて感じた次第。であれば、やはり定期的に更新はするべきなのだ。そんなこともあって気持ちも新たに取り組んでいこうと、ささやかな決意をしたのである。(正月からでも随分と時間は経っていますがね)

さて僕は前々回、ロックバンドBOOWY(2つ目のOには/)について、その中でもメンバーだったヴォーカルの氷室京介とギターの布袋寅泰についての話を書き込んだ。あれから3年近くが過ぎ、状況は大きく変化した。今回はそれをテーマにしてみたい。
今から約2年前の2014年7月のこと、氷室京介は今後のライブ活動を休止すると宣言した。その理由は自身の耳の不調だという。数年前からある特定の音域が聴こえにくくなり、ライブにおいて満足のいく歌唱ができなくなった、というもの。そして昨年の暮れ、最後のライブとして2016年4月から5月にかけての4大ドームツアー(福岡、大阪、名古屋、東京)の開催が発表された。ラストは東京ドームにおいての3日連続公演。これをもって氷室のライブ活動は休止となる。もちろん、耳の調子が戻ればライブ活動の再開ということも考えられなくは無い。しかし、ラストライブには“LAST GIGS”のタイトルが付けられた。“LAST”と名づけた以上、彼の美学からして復帰はあり得ないだろう、というのがファンの共通認識でもある。実際、解散あるいは休止の後に復帰してくるミュージシャン、バンドも多い。もちろん可能であればいつの日か、再びステージ上で氷室の勇姿を目にしたい。しかし、氷室には彼の持つ“美学”を貫いてもらいたい。それがファンの正直な気持ちだと思う。
実は2014年7月の氷室のライブ活動休止宣言の報道を受けて、布袋がツイッター上でメッセージを発信した。それは「もし最後になるのであれば、ぜひ隣りでギターを弾かせてもらいたい」という氷室に向けてのメッセージ。1988年4月のB00WYのラストライブから28年。再結成はあるのか無いのか、そして氷室と布袋が共演する日がくるのかどうか。それはことあるごとにファンの間で話題になり、様々な議論が交わされてきた。大げさにいえば日本ロックバンド史における、永遠の謎のひとつだったのでは無いかと思うのだ。
しかし、その“永遠の謎”についに結論が出てしまう。2016年5月23日、東京ドーム。この日を持って氷室はステージを去る。つまり、氷室、布袋の共演のチャンスもこの日が最後になるのだ。30年に及ぼうとする“永遠の謎”の結論は?果たして布袋は東京ドームのステージに立つのか?

氷室のラストライブ、選曲はファンの人気投票を基準に選ばれることも発表されていた。それぞれの思い入れを持ってファンは様々な曲をリクエストする。もちろんその中には、BOOWY時代の曲も多く含まれる。
ライブ開催において演奏される曲目、つまりセットリストは重要な意味を持つ。ライブの盛り上がりを左右する大切な要素になるからだ。その中でも最後の最後に演奏される曲には大きな注目が集まる。ましてや氷室はこれが最後のライブになるのだ。中でも最も注目されるのが最終日、5月23日の東京ドームライブの最後の曲である。ライブ活動の再開を考えなければ、当然ながらこの曲が氷室がファンの前で歌う最後の曲となるのだ。例えてしまえば、ミュージシャン氷室京介のライブにおける「遺言」である。その曲は何になるのか。多くのファンが、様々な曲を予想した。
まず一番に予想されるのは「Angel」。B00WY解散後、氷室がソロアーティストとして初めてリリースした記念すべき曲。実際、今までのライブでもこの曲が最後に演奏されることが多かった。曲が始まる前には氷室の口から「俺がずっと大事にしてきた曲」と紹介されることが多く、彼にとってもファンにとっても思い入れが大きい一曲である。続いて予想されるのが1989年発表の「Summer Game」。これも多くのライブで最後に演奏されてきた。覚えやすくキャッチーで、ライブのラストを盛り上げる定番曲である。いずれもソロ活動初期の曲だが、逆に最近の曲を予想することもできる。中でも2013年発表の「The sun also rises」は~陽はまた昇る、空を見上げる限り~という歌詞のメッセージ性も含めて最後を飾るに相応しい曲である。

以上はすべて氷室京介ソロとしての楽曲だが、もちろんBOOWY時代の曲がラストという予想も無くはない。もしBOOWY曲がラストであれば、まず予想されるのは「NO NEW YORK」。これも盛り上がりやすい曲で、2011年東北大震災のチャリティとして氷室が行った全曲BOOWYナンバーでのライブでもラストはこの曲だった。この曲は1982年にリリースされたBOOWYのファーストアルバムに収められており、作詞は初期メンバーとしてサックスを担当していた深沢和明(BOOWYはデビュー時、6人体制だった)。作曲は布袋寅泰。BOOWY初期を代表する人気の曲である。
しかし熱心な氷室ファンの中には、最後の曲をBOOWY曲にして欲しくない、という人も多い。というのも氷室のライブ活動について、何かというとすぐにBOOWYの再結成、または布袋との共演といった話題が引き合いに出されることを快く思わないファンは多い。それには2つの言い分がある。1つ目は、氷室にとってBOOWYは輝かしい歴史ではあるけれど、既に過去の話だということである。確かに過去の栄光にすがるようにして活動するミュージシャンも多い。しかし氷室は常に新しいサウンドを取り入れて進化している、現役のミュージシャンなのだ。懐メロ歌手ではあるまいし、いつまでもBOOWYの名前を出すのは違うだろう、という言い分である。

2つ目はライブにおいて氷室を支える、バックバンドのメンバーの存在だ。氷室のライブでBOOWY曲が演奏される場合、何かとBOOWYのサウンドと比較される。特にギターはそうだ。布袋寅泰というあまりに個性的で独創的なギタリストとの比較になってしまうのだ。
例えば2003年以降、氷室のバックバンドのギタリストを務めているDAITA。彼は「1/3の純情な感情」のヒット曲で知られるバンドSHAM SHADEのメンバーとしてデビュー、2002年バンド解散後にソロギタリストとしての活動を開始している。そして翌2003年、氷室のバックバンドのメインギタリストに抜擢された。しかし当初、氷室ファンの彼への評価は厳しかった。特にSHAM SHADEのことをよく知らない人は、メンバーのルックスの良さも手伝って見た目重視のバンドとして判断してしまっていたのである。だからDAITAに対しての評価も、見た目はカッコいいけれど氷室のバックのメインギタリストを務めるには役不足と決めつける声も多かったのだ。そんな評価も回り回ってDAITAの耳にも入っていたに違いない。しかしDAITAはその後も継続して氷室のバックを務め上げ、程なくして氷室ライブには無くてはならない存在になった。DAITAに限らず、氷室のバックメンバーにはそれなりのプレッシャーがあったに違いないのだ。
もし、氷室のラストライブに布袋が登場したとする。もちろん観客は盛り上がるのかも知れないが、バックバンドのメンバーにしてみたらどうだろう。今までの様々な苦労や重圧、それを布袋登場という華やかなニュースにすべて持っていかれてしまう。氷室は何よりバックのメンバーとの絆を大事にしてきた。氷室のバックバンドにはDAITAを含めて、長年の付き合いを継続しているミュージシャンが多い。それだけ絆は深く強いものになっている。最後の最後にバックバンドのメンバーをないがしろにするような真似はして欲しくない。それも大きな理由だと思うのだ。

果たして5月23日の東京ドーム、最後の曲は何になるのか。そして氷室と布袋の共演は実現するのか。現在は活動拠点であるイギリスのロンドンに住まいを構えている布袋。しかし4月初旬、布袋は日本で自身のライブを行う予定になっている。つまり、日本に滞在しているのだ。それも二人の共演を期待するファンにとっては朗報となった。氷室と布袋の共演、これは絶対にあるぞ、長年のファンの夢を最後の最後に叶えてくれ。いや、最後まで氷室は氷室を貫いて欲しい、今の氷室に布袋は必要ない。様々なファンの思いが交差する中、ついに氷室京介最後のライブツアー「LAST GIGS」がスタートした。

「LAST GIGIS」4大ドームツアー、最終日までの最後の曲は
4月23日・24日 京セラドーム大阪 「NO NEW YORK」(BOOWY曲)※両日共
4月29日 名古屋ドーム 「The sun also rises」(氷室曲)
5月21日・22日 東京ドーム 「Summer Game」(氷室曲)※両日共
ここまでは、ほぼファンの予想通り。そして布袋の登場は無い。
そして迎えた5月23日、東京ドーム3DAYSの最終日。もし氷室と布袋の共演が実現するのであれば、これが最後のチャンス。共演を望む人も望まない人も、様々な思いを持ってこの日を迎えたのである。

結論から書くと、ステージ上に布袋の姿は無かった。いつも通りの氷室京介のライブだった。BOOWY解散から28年、幾度となく噂された再結成、あるいは氷室と布袋の共演。それに対して答えるのであれば「すべては無かった」のである。
しかし、僕はこの日のセットリストを見て驚いた。そこに込められたであろう氷室の思いを想像すると、思わず胸が熱くなるのを抑えられなかった。
全35曲に及ぶ演奏曲の中で、最後の最後に演奏されたのはBOOWY曲の「B・BLUE」。僕の記憶の中では(間違っていたらごめんなさい)氷室がソロになってから「B・BLUE」を最後に演奏したことは無かったはず。前述のように、BOOWY曲であれば「NO NEW YORK」が最後というのが今までのパターンだ。実際、4月23日・24日の京セラドーム大阪では「NO NEW YORK」が最後の曲になっている。2011年の全曲BOOWYナンバーでの東北大震災チャリティライブ。さらに遡って2004年8月、それまで封印していたBOOWY曲を初めて大々的に取り上げたライブでも、最後は「NO NEW YORK」だった。
最後の最後、氷室がファンの前で歌う最後の曲が何故「B・BLUE」だったのか。この曲を最後と予想した人は、僕を含めて恐らく少なかった筈だ。

「B・BLUE」は1986年9月にリリースされた、BOOWYとしては4枚目のシングル曲。オリコンランキングで初のトップ10入りを果たした、BOOWYがブレイクするきっかけになった曲である。そして1ヶ月後の11月には「B・BLUE」を含むアルバム「BEAT EMOTION」がリリースされ、堂々のオリコン1位を獲得する。それまでほぼ無名に近かったBOOWYは、一気にメジャーシーンに躍り出た。その勢い、輝きを何よりも象徴していたのが「B・BLUE」だったのである。
シャープなビートでありながら、耳に馴染みやすいメロディ。ロックバンドとしての「カッコよさ」と誰にでも分かりやすい「POPさ」を両立させたBOOWYを代表する一曲であり、当時多くのバンド少年達にも大きな影響を与えた。
GLAYのギタリストのTAKURO氏はアマチュア時代に初めて「B・BLUE」聴いた時「腰が抜けるほど驚いた」という。GLAYが結成されたのは「B・BLUE」リリースから2年後のこと。この曲が彼らの方向性にも何らかの影響を与えたのは間違いないだろう。
しかし注目すべきは「B・BLUE」の歌詞なのである。

「B・BLUE」作詞:氷室京介 作曲:布袋寅泰

乾いた風にかき消されて 最後の声も聞こえない
歪んでいく街並みも色あせて
振り向かないで今はまだ 思い出をLONELY ANGEL
今度こそ幸せになることを祈ってる
OH BABY TRUE 素直になれずに
OH BABY TRUE 優しさには照れてばかりで

ポケットに詰め込んだ 夢だけで過ごせたね
このままでいつまでも続くなんて
夜の吐息に飲み込まれて 震えていたLONELY ANGEL
さみしい笑顔があることも 気付かずにいた俺
OH BABY TRUE 不器用な愛で
OH BABY TRUE いつも傷つけ合ってたね
OH BABY BLUE 抱き合っていたけど
OH BABY BLUE 違う明日を見つめてた

ON THE WING WITH BROKEN HEART 破れた翼で
ON THE WING WITH BROKEN HEART もう一度飛ぶのさ
ON THE WING WITH BROKEN HEART 壊れた心で
ON THE WING WITH BROKEN HEART もう一度笑ってよ

僕は前々回の書き込みでBOOWYのことを取り上げた。その中でBOOWY解散についての個人的見解を述べた。デビューはしたものの、鳴かず飛ばずだったBOOWYの存在を世に知らしめるために共に戦った氷室と布袋。しかしBOOWYブレイク後、音楽家としてもっと自由に羽ばたきたいと願う布袋の気持ちがやがて氷室へのジェラシー、反発に変わっていった。そして1987年12月24日の渋谷公会堂でのライブ。解散の話しを切り出しながらも、何度も布袋に目で確認しようとした氷室。しかし布袋は氷室に背を向けて、二人の目線が合うことは無かった。
~ポケットに詰め込んだ 夢だけで過ごせたね
~抱き合っていたけど ~違う明日を見つめてた
もちろん「B・BLUE」リリース時には、この歌詞が現実のことになるなど予想もしていなかったとは思う。しかし、この歌詞を二人の別れ(バンドの解散)のシーンに重ねると、何とも切ない気持ちになる。それまで多くの辛酸をなめてきたバンドが一気にのし上がり、結果それが原因で別離を迎える。言えばBOOWYというバンドの短くも波乱に満ちた歴史を最も象徴しているのが「B・BLUE」なのではないだろうか。
そして終盤に繰り返されるこのフレーズ。
~ON THE WING WITH BROKEN HEART 破れた翼で もう一度飛ぶのさ

氷室は自らの耳の不調で、何より大切にしてきたライブ活動に終止符を打つ。しかしミュージシャンとしての活動を終える訳ではない。場合によればまたステージに戻ってくる日もあるかも知れない。例え一時的に翼が破れようと、もう一度飛ぶことはできる。
布袋は5年前からロンドンに活動の拠点を移している。ミュージシャンを志した時から憧れていたロンドン。デビューしてからも何度も訪れ、刺激を受けてきたこの街でゼロから世界を目指して挑戦を始めたい。そんな心意気からの移住ではあるが、世界を目指すという夢は簡単なものでは無い。確かにクエンティン・タランティーノ監督の映画「キルビル」に布袋の曲が採用されたり、1996年のアトランタ五輪の閉会式でギターを弾く姿が世界に放送されたりの実績はあるものの、それで通用するほど世界のレベルは甘くない。ましてや布袋は今年で54歳。音楽業界からすれば、日々世界中から台頭してくる才能あふれる若いミュージシャンに注目が集まるのは当然のこと。実際、布袋が行う海外での演奏は主に小規模のライブハウス。それでも観客は埋まらない。もちろん、日本ではそんな状況は考えられない。いくらゼロからと言っても、やはり悔しさを噛み締めながらの活動なのである。
氷室に比べて布袋は、ネット上等で叩かれることが多い。もちろんネット上での誹謗中傷でしか無いのだが、ひとつは暴力事件や不倫報道など布袋が過去におこしてきたスキャンダルだ。かつての山下久美子との離婚、その後の今井美樹との再婚も今井の「略奪婚」の報道もあって布袋のイメージを悪くした。プライベートを晒すことも無く、ほとんどマスメディアに出て来ない氷室のストイックなイメージに比べると、どうしても「やらかしてしまった」感が強い。前述のように氷室がライブ活動休止を発表した後、布袋はツイッターで共演を希望した。それすらも「いつまでも氷室に依存したがっている」「ツイッターなんかより本人に直接言えよ」等とバッシングされてしまった。
今年布袋はプロデビュー35周年を迎えた記念として、日本で多くの活動を行っている。ベスト盤の発売、全国ツアー等、活動はほぼ日本国内である。それもバッシングの対象になった。海外でゼロから挑戦、と言いながら結局日本でしか活動していないじゃないか。だったら最初から移住なんかするなよ、と言うものだ。中には、もう一生食べるには困っていないんだから、海外での挑戦もお金持ちのお遊びでしょ、などと揶揄する人もいる。
しかし、空席だらけのライブハウスで屈辱を味わいながらも布袋は活動を継続している。もちろん止めようと思えばいつでも止めることはできるだろう。挑戦を続けていく姿勢こそが大切なのでは無いだろうか。
そんな布袋のことも、もちろん氷室は知っているだろう。だからこその~破れた翼で もう一度飛ぶのさ~では無いだろうか。となると、氷室が自身のライブ活動の最後に歌う曲として「B・BLUE」を選んだ理由が見えてくるような気がするのだ。“ポケットに詰め込んだ夢だけで過ごしていた”日々を経て「B・BLUE」の輝きと共に眩しいばかりの光を放ちながら、トップへと駆け上がったBOOWY。そして“違う明日を見つめていた”布袋と氷室が袂を分かった1987年の12月24日。結局は“いつも傷つけ合ってた”のかも知れない氷室と布袋。そして最後に繰り返される“破れた翼でもう一度飛ぶのさ”。「B・BLUE」の歌詞には、様々な思いが込められているような気がするのだ。

実はこの日、布袋は客席にいた。観客の一人として氷室の最後のライブを見届けていたのだ。氷室がそれを知っていたのかはどうかは分からない。あくまで僕の個人的な意見なのだが、氷室は自身のライブの最後に「B・BLUE」を布袋に向けて歌ったのではないだろうか。苦しくとも夢と野心のみで過ごした日々。それが大きく花開き、凄まじい勢いでトップへ駆け上がったBOOWYブレイクでの輝ける日々。そして違う明日を見つめていた、すれ違いの日々。そして諦めることなく、一度飛ぼうとしてもがき続ける日々。それは布袋への感謝でもあり、エールでもある。
自分がマイクを持って歌うことができる最後のチャンスに、この客席にいるであろう布袋へ向けて贈った最後のメッセージ。もし氷室が客席に布袋がいることを知らなかったとしても最後の最後に「B・BLUE」が歌われたというセットリストは記録として永遠に残る。布袋がそれを知れば、そこに込められた思いはすぐに伝わるに違いない。
さらに言えば、それは同時にBOOWYと思い出を共有した多くのファンに対してのメッセージでもある。決して先行き明るいとは言えない現在、日々迷い苦しんでいる人たちへ贈る「破れた翼で もう一度飛ぶのさ」というメッセージなのだ。そしてBOOWYが最も光り輝いた時代を再び心の中に灯し、それを糧に力強く立ち上がろうというメッセージなのだ。

2016年5月23日。氷室京介最後のステージに布袋寅泰の姿は無かった。この事実を持って「結局、氷室と布袋は同じ舞台に立つことは無かった」とする報道も多かった。確かに事実だけを捉えればそうなる。しかしステージ上に姿は無くとも、ラストの「B・BLUE」で氷室と布袋は確かに“共演”した。28年前にすれ違った思い。しかし苦楽を共にした仲間として、共に音楽を追究するアーティストとして、言葉は無くとも常にお互いに思いを巡らせていたに違いない。そしてこの日、この一曲に、その思いのすべてが込められていたのでは無いだろうか。
東京ドームを埋め尽くした5万人以上の観客にも、二人の姿は見えていたと思うのだ。目に見えるものだけがすべてではない。時代を超えて、様々な感情を超えて、何よりも光り輝く瞬間がそこにあったはずだ。
氷室が最後の最後に自分が作曲した「B・BLUE」を選んだこと。布袋はどんな思いでそれを受け止めたのだろうか。それはもう二人の間でしか分からないことだ。彼はこの日の感想を自らのブログにこう記している。
「貴方と出会い、貴方の隣りでビートを刻み、歌い、踊り、笑顔を交わせたことは、ギタリストとして最大の喜びであり誇りです。
心からの感謝と最大のリスペクトを込めて。ありがとう。そしてお疲れさまでした。」

氷室と布袋はまだ和解できていない。結局最後まで不仲のままだった。二人の関係について様々な報道があった。しかし氷室と布袋の関係は結局どうだったのか、という質問に答があるとすれば、氷室が「B・BLUE」を最後に選んだこと。それがすべての答なのだ。氷室は「B・BLUE」を最後の最後に歌うことで、布袋本人へはもちろん、多くのファンへ思いを語ったと言えるのでは無いだろうか。氷室はBOOWY再結成あるいは布袋との共演の可能性について、積極的に口にすることは無かった。しかし、最後に「B・BLUE」を選んだという事実はどんな雄弁な言葉よりも心に響く。そしてそこに込められた思いに胸を熱くする。BOOWYの魅力がその音楽性はもちろん、そこに秘められた人間ドラマにあることを改めて感じてしまうのだ。
1988年4月4日、“LAST GIGS”と名付けられた東京ドームでのBOOWYのラストライブ。オープニング曲は「B・BLUE」だった。そして28年後の2016年5月23日、場所も同じく東京ドーム。“LAST GIGS”と名付けられた氷室京介のラストライブのエンディング曲は「B・BLUE」。この日を持ってBOOWYというひとつの物語が完結したのだろうか。
実はこれを書き込む少し前、10月8日のこと。僕は地元で行われた布袋の全国ツアーに参戦した。35年の歴史を振り返るベストヒット的な選曲の中にBOOWY曲も数曲含まれていた。氷室がステージから去った今、BOOWY曲を歌い継いでいくのは自分しかない。それを感じさせるような熱の入ったパフォーマンスだった。それはBOOWYの、そして氷室京介の思いを背負っていくことでもある。
布袋は年内いっぱい、35周年記念関連のイベントが続く。その後はロンドンでの挑戦の日々が待っている。氷室も一段落すればまた、楽曲制作等の音楽活動を再開するだろう。2010年の「“B”ORDERLESS」に続くオリジナルアルバムの発表も待たれるところだ。これからの二人の物語もファンの一人として追い続けていきたいと思っている。

久しぶりの書き込みがこれまた恐ろしく長い話しになってしまった。もしこれを読んでくれる人がいれば、前々回の書き込みとセットで読んでもらえれば嬉しい。そして氷室京介と布袋寅泰、そしてBOOWYというバンドの生き様について関心を持って頂ければこれ以上の喜びは無い。例によってここに書き込んだ内容は僕個人の勝手な思い込みであり、認識の違いなどはご容赦頂ければありがたい。
氷室のラストライブの最後の曲が「B・BLUE」と知った時から、一日も早く今回の話しを書き込みたいと思っていた。ということでとりあえず一安心。次回のテーマはいよいよ初回の書き込みから宣言していた、あのアイドルグループをテーマにしたい。あれから約3年、書きたいテーマは山のようにある。決意も新たに定期的な書き込みを実現するんだ~Z!

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